『バレンタインの夜、BARにて』

白井:中小企業の社員 酒癖が悪い (32歳)
黒沼:中小企業の係長 部下の白井と仲が良い (34歳)
灰崎:小さなBARの店長 妹がいる (30歳)

 

 

 

【配役表】 

白井:

黒沼:

灰崎:

 

 

 

 

 

 

 

 

黒沼「白井、またここにいたのか」

黒沼:間接照明から逃げるようにして、白井はカウンター席の1番左端に座っていた。
バーテンがグラスを布で拭く軽やかな音と、感じのいいジャズが響く店内にポツリといた白井を見つけるのは、そう難しいことではなかった。

白井「ああ、黒沼さん、よくここがわかりましたね」

黒沼「お前のいるところなんてすぐわかるって
ここか、会社近くの定食屋か、家の三択だろう」

白井「あはは、正解です。ビンポーン」

灰崎「ああ、黒沼さん来て下さったんですね、もう白井さんを連れて帰ってあげてください
さっきから何杯も召し上がられて、すっかりこのとおり、です」

黒沼:バーテンの灰崎が困った顔でこちらを見つめてくる。相当飲んだのだろう。まったく、毎度のこととはいえ、どうしようもないやつだ。

黒沼「白井、帰るぞ、こんな金曜日の夜に何やってんだ」

白井「イヤですよ黒沼さーん、黒沼さんも、座ってください、ね?飲みましょ?」

黒沼「バカ言え、そんな酒臭いやつの相手なんてしてられるか
俺はさっさと顔真っ赤にした面倒な後輩を送り届けなきゃなんないんだよ」

白井「えー、そんなこと言わずに!一杯だけ!ね!ね?せっかく来たんだし可愛い部下に付き合ってくださいよお〜
どうせおうちに帰っても一人でビール飲みながら事務の三谷さんに貰った義理チョコつまむんでしょ?」

黒沼「…っ、おまえ、迎えに来た上司に向かってその口の利き方、どうにかならないのか!」

灰崎「まあまあまあ!
黒沼さん、こうなったら白井さん意地でも動かないですよ、
どうです?一杯だけでも」

黒沼:灰崎がこっそり耳打ちをする。
仕方がないなと心の中でため息をつき上着を脱いだ。

白井「灰崎さん!もうお店閉めちゃいましょう!
三人だけで飲み明かしましょうよ!」

黒沼「おい白井!…ったくもう」

灰崎「…あはは、はいはい、分かりました
お客さんももういないし、今日だけですからね?特別ですよ?」

白井「やった!」

黒沼:灰崎は店の看板をクローズドに変え、苦笑いしながら戻ってくる。
白井はこの店の常連で、上司である俺も必然的に灰崎とは顔見知りになった。よく白井がここで酔いつぶれて、それを迎えに来るからだ。
彼女もいない三十路の男を毎回抱えて帰るのはやはり悲しいものがある。自分も一人なのだと思い知らされるからだ。

白井「それでは!三十路になっても独り身同士、彼女もいない寂しい者同士、バレンタインにカンパーイ!」

灰崎「か、乾杯」

黒沼「なんだその悲しい掛け声は」

白井「なんですか!だってホントのことじゃないですか」

黒沼:本当のことすぎて二の句が告げない。
まったく、一体いつから、どれくらい飲んだのか、白井の顔は赤くなりすっかり出来上がっていた。

白井「にしても、いつもこの時間店閉めてませんでしたか?
灰崎さんバレンタインになんでこんな時間まで営業してるんですか
やっぱり彼女がいないから?
うーん!謎すぎる!こんなにイケメンで、しかもバーテンダーなのに!逆に口説かれること多いんじゃないですか?」

灰崎「はは、ありませんよそんなこと
ここは知っての通り常連は白井さんくらいの小さなバーですから
バレンタインに寂しがって来てくださる方がいないかと思い、開けてたんですよ、はは」

白井「またまた〜!俺こないだお店の前で灰崎さんが女性とお店の前にいるの見ましたよ?遠目に後ろ姿だけですけど、黒髪ボブのおんなのこ!」

灰崎「…?ああ、たぶん妹でしょう、よく独り身の私を心配して店に寄ってくれるんです」

白井「ふうん、なーんだ、つまんない」

黒沼「おい、灰崎さんに失礼だろう、白井」

灰崎「いいんですよ、黒沼さん
独り身なことに変わりないわけですから」

白井「でも!そんなこと言ったら黒沼さんだって独り身じゃないですか、なんで?作らないだけですか?黒沼さんくらいになると普通の女性じゃ物足りないとかですか?」

黒沼「はあ…お前、さっきも言ったがそれが上司に対する口の利き方か…
ったく、俺はちょっと前までいたけど、別れたんだよ
向こうの誕生日に、仕事で遅くなったから、せめて花屋でアイツの好きな赤い薔薇を、って買って行った日にな
仕事と私、どっちが大事なの、って」

白井「うっわー!俺そんなこと言う女ぜったいダメですね!別次元の話だっつーのに!
仕事があるから女がいて、女がいるから仕事ができるのに」

黒沼「…俺も必死にそう伝えたよ、でも分かってもらえなかった
俺は価値観が人とズレてるんだとさ」

白井「黒沼さんが悪いんじゃありません!その女の物分りが悪いんです!
まあ…黒沼さんが若干人とズレた価値観してるのは、何となくわかりますけど」

黒沼「どういうことだ?」

白井「黒沼さんって自分をかえりみないこと多いじゃないですか
周りにばっかり気を配って、今日も俺みたいなやつに捕まっちゃって、カワイソー」

黒沼「…そう思うならその酒を今すぐテーブルに置け、タクシーを呼んでやる」

白井「う、ウソですウソです!このウイスキーは飲ませてください!」

灰崎「ぷっ、くすくす…」

黒沼「灰崎さんなにがおかしいんですか」

灰崎「いや、お二人って本当に仲が良くて、ご兄弟みたいだなって思っただけです」

白井「こんなお兄ちゃんイヤですけどね」

黒沼「それはこっちのセリフだ、俺だってお前みたいな弟はほしくない」

灰崎「くすくすくす」

黒沼:笑い声がBGMと混ざり合い、グラスの氷とともに溶けていく。
なんだかんだと言いつつ、心地よい時間だった。

黒沼「そういや、白井、お前こそ彼女作らないのか?」

黒沼:なんとなしに切り出した話題に酒を飲む手がピタリと止まった。ギクリといった感じだ。

黒沼「なんだ?どうした?
…俺なにかまずいこと言ったか?」

白井「や、ヤダなあ!そんなことないですよ、俺?俺ですよね?彼女?いないですいない!好きな人だっていませんよー!」

黒沼:そう言って白井はウイスキーを一気にあおった。
明らかに様子がおかしい。じっと睨みつけると目がウロウロと泳いでいる。隠し事をしている時のサインだ。

黒沼「…はーん、わかったぞ、白井
お前、あの噂本当だったんだな?」

白井「な、なんのことですか…?」

灰崎「噂?って、なんですか、黒沼さん」

黒沼「いやね、コイツ一昨日、それこそバレンタインだ、っていって告白して、盛大にフラれたらしいんですよ
自分で手作りの逆チョコまで作って、手紙まで書いて、なのにそれをもらって貰えなかったって社内のもっぱらの噂に」

白井「わー!わー!黒沼さん黒沼さん!それ以上はやめてください!恥ずかしくて死んじゃう!」

黒沼:白井は顔を覆って耳まで真っ赤にしている。
どうやら噂は本当らしい。
灰崎は横でそっとため息をついた。

灰崎「はあ…それで今日あんなに飲まれてたんですね、納得がいきました
理由を聞いても一向に教えてくれないもんだから」

黒沼「そりゃあ言えないよなあ、自分より6つも歳下の子に告白して『オッサンからの手作りチョコレートなんて気持ち悪い』なんて言われた日には」

白井「やめてください!いっそ殺してえ!」

灰崎「それはなんというか…ご愁傷さまです…」

白井「誰が漏らしたんですかその情報!俺、誰にも言ってないはずなのに!」

黒沼「昨日の飲み会の席で盛大に酔っ払って泣きながらみんなに言ってまわったそうじゃないか
俺は行かなかったからあとから事務の三谷に聞いたけどな」

白井「馬鹿!俺の馬鹿!このおしゃべりなお口め!
あと事務の三谷め、許さないからな…!」

黒沼:泣き真似をしながら唇を尖らせる三十路の男。
なんともシュールな絵面であった。

白井「…そうですよ!エミちゃんはね!職場の前を通る花屋さんの看板娘さんだったんです!毎日笑顔で挨拶してくれて、その笑顔がまぶしくて、それで、俺…!」

灰崎「えっ」

黒沼:ガタリと灰崎が立ち上がる。持っていたグラスから数滴の酒がこぼれ落ちた。

白井「ど、どしたんですか、灰崎さん…」

灰崎「…あの…エミ、って、黒髪で…眼鏡かけてて…ボブの身長小さめの女性、ですか…?」

白井「え?あ、はい……え?なんで灰崎さん知ってるんです?」

灰崎「(言葉にならない声)」

黒沼:顔面蒼白とはこのことだ。灰崎の顔がみるみる青くなり、いきなりガバッと頭を下げた。

灰崎「すみません!それ、うちの妹です!」

白井「…へ?」

黒沼「え?」

黒沼:間抜けな声が漏れる。顔を上げた灰崎はあわあわとしながら弁明を始めた。

灰崎「アイツ、見かけに反して気の強いところがあって、こないだ出かけていったなあと思ったら怒って帰ってきて、何事かと思って聞いたら『オッサンに告られた』だのなんだの言ってて…すみません!!礼儀知らずの妹で…!!
代わりに謝らせてください!!」

白井「えっ、えー!?灰崎さんの妹さんー!?
ああ、言われてみれば顔のパーツが似てるような似てないような…!!」

灰崎「ほんっとうに、本当にすみません!!
よく言って聞かせますので!!すみません!!」

黒沼「いや、灰崎さん、そんなに謝ると多分コイツが余計に惨めになるだけですよ」

灰崎「はっ!そうですよね!すみません!!」

黒沼「だから、その…」

灰崎「わー!すみませんー!」

白井「ぷ、あはは!」

黒沼:いきなり白井が笑いだした。ついに壊れたか。

白井「ひゃー、いや、俺たち、本当に、バレンタインに集まって何やってんだか、ぷ、あははは!」

灰崎「え、え?笑うとこですか?そうなんですか?」

黒沼「くく、確かに彼女もいない、いい歳した独り身が三人揃って、何してるんだか、ははは」

灰崎「え、え?笑っていいんですか?えー?」

白井「いいんですよ灰崎さん、俺には高嶺の花過ぎたんです、だから大丈夫です
それにエミさんと付き合えてたらこうしてここで飲めてないわけですから、結果オーライですよ、ははは!」

灰崎「は、はあ…そうなん、ですかね?」

黒沼「そうですよ、本人が言ってるんだから、間違いないです
灰崎さんお気になさらずに」

灰崎「あ、ありがとうございます…?」

黒沼:戸惑う灰崎に爆笑する白井、それを見ていたらなんだかおかしくなって俺もいつの間にか笑い転げていた。
そのうち灰崎にも笑顔が戻り、寂しいオッサンの笑い声が店内に溢れていた。

白井「あ、え!?もうあと15分でバレンタイン終わる!?俺結局事務の三谷にしかチョコもらってなーい!しかも義理も義理!クソー!」

灰崎「わ!ホントだ、そんなに時間経ってたんですね」

黒沼「…そういえば、灰崎さんは何個貰ったの、チョコレート」

灰崎「…え?あ、そうですね…いち、にい、さん、しい、ご、ろく…かな?」

白井「え!?待って!?やっぱり灰崎さんモテてるじゃないですか!?6個!?ウソでしょ!?」

灰崎「いやいや、全部お店のお客さんと、それからエミですよ
だから白井さんと一緒、義理も義理です」

白井「絶対ウソだ!本命混じってますって!
そうだ!開けましょここで!開封の儀を行いましょ!」

黒沼「おい、バカかお前、そんなのダメに決まってるだろ
灰崎さんが貰ったチョコレートなんだから、本当に本命が入ってたらどうするんだ」

白井「そ、それは…」

黒沼「自分が傷ついてるからって人を巻き込むのはやめろ
まあもっとも?灰崎さんの貰ったチョコの中には、どっかの誰かさんみたいに、湯煎したチョコペンで『好きです』なんてかいたセンスの欠けらも無いハート型のチョコレートなんて、ないだろうけどな、ははは」

白井「ああもうやめてください黒沼さん!!なんでそんなことまで知って!?」

灰崎「え、ちょ、ぷ、くすくす…!白井さんそんなチョコレートをエミに…?」

白井「ーーっ!!あーあー!!すいませんね!!
お宅の妹さんにセンスの欠けらも無いハート型のチョコ差し上げてしまって!!
お陰様で受け取ってももらえませんでしたけどね!!はー!!」

灰崎「(爆笑)」

黒沼「(爆笑)はー、笑った
さて、白井、そろそろ帰るぞ」

白井「え!俺まだ二人にに抉られた心の傷が癒えてない!
酒で埋めなきゃ帰れない!」

黒沼「まだ飲む気か」

灰崎「笑っちゃったお詫びに今日は朝までいていただいて構いませんよ
チョコレートも開けちゃいましょう、どうせ義理でしょうし」

白井「イエーイ!
じゃあ俺ウイスキーロックでー!」

灰崎「はい、承知しましたよ、黒沼さんは?」

黒沼「悪いな、じゃあ俺もそれで」

灰崎「わかりました、ちょっと作ってくるので待っててくださいね」

白井「さ、黒沼さん、どれから開けます?俺このピンクの箱いきますねー!」

黒沼「本当に開けるのか?」

白井「だって灰崎さんいいって言ったじゃないですか!つまみも足りないし!
さてさて〜箱の中身は〜…(固まる)」

黒沼「ん?どうした?」

白井「いえ、なんでもないです」

黒沼「なんでもないなら、なんで箱閉じたんだ」

白井「え、いや、あの、その」

灰崎「お待たせしました〜てあれ?二人とも?どうしました?」

白井「いやその!ええっと!」

黒沼「いいから、見せてみろって!」

白井「あっ!ちょっ!だめっ!」

黒沼「これは…」

白井「だから言ったのに…」

灰崎「え?え?」

黒沼「まあ、見てみてください」

灰崎「す、き、で、す…みたに…?」

白井「…俺以外にも、こんな身近にセンスの欠けらも無いやついたんだな…」

黒沼「全くだ、これは見なかったことにしよう」

灰崎「どうしよう…これ、事務の三谷さんですよね…」

白井「知らねえ!人のこと勝手にベラベラ喋るからこういうことになるんだ!よし!天罰だ!
(むしゃくしゃチョコを食べる)」

灰崎「あ、あーーー!!!」

黒沼「まあ、これは、仕方ないな」

灰崎「え、あの、僕どうしたら…」

白井「放っとけばいいの、大丈夫!俺らがなんとかしときますから!
あーあー、にしても食うならエミちゃんのやつがよかったなあ」

黒沼「残念だったな、お前甘いもの苦手だし、もう食べられないだろ、そんなデカいの食ったら」

灰崎「えーとエミのは…」

白井「あーあーいいんですよ灰崎さん!一発でエミちゃんのを引き当ててたら、今度の告白もワンチャンあったかもしれませんが、よりにもよって事務の三谷のじゃなあ…しかもあんまり美味くねえし…」

黒沼「…おい、お前まだ灰崎さんの妹さんに告白する気か!」

白井「イエーイ!
今度こそ!エミさんのハートを射抜きますよ!」

黒沼「ハートの強いやつだな…」

白井「当たり前でしょう!今ハート食ったし!なんつって!ははは!
それに、エミさんの笑顔は俺のものです!」

灰崎「あはは…兄として複雑な心境です…」

白井「さあ!今夜は飲み明かしますよー!灰崎さん!ウイスキーおかわり!」

黒沼「…どうなっても知らないからな、ったく…
灰崎さん、俺も、なにかいただいても?」

灰崎「わかりました、今夜はたくさん飲んでたくさん話しましょう
独り身も三人よればなんとやら、です」

白井「違いない!」

全員「「「(笑い声)」」」

 

 

 

 

 

 

 

白井「(酔っ払って)…いやあ、それでね!」

灰崎「(割り込む)あ、そういえば、思い出しました」

白井「えー?灰崎さんなんですか、今からがいいとこなのに」

灰崎「あ!いえ!じゃあ大丈夫です!」

黒沼「言いかけたら気になるじゃないですか
どうしたんです?灰崎さん」

灰崎「あ、いや、その、妹が言ってたんですよ
いま、気になってる人がいるって」

白井「えっ!?誰!?俺!?俺なの!?ワンチャンあるの!?」

黒沼「なんでフラれてるのにお前なんだよ、ワンチャンもなにもないよ
それで?一体誰なんです?」

灰崎「しっかり聞いたわけじゃないんですけど…
その、前に赤い薔薇を一輪買っていった、白井さんと同じ会社の方だ、って言ってました」

白井「え、それ、って……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〜Fin?〜

 

 

2020.03.02

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